エコファーマー栽培の認証を取得した柑橘類の生産・販売を行い、現在、地元を中心にファンを増やし続けている「フジカワ果樹園」(香川県観音寺市)。個人消費としての需要はもちろん、地元飲食店からのオファーも絶えず、商品が観音寺市の「ふるさと納税」の返礼品にも選定されるなど、そのブランド力はじわじわと多方面に浸透している。中でも、残留農薬不検出の認定を受けたハウスレモンは、今や首都圏の飲食業界からも、熱い視線を注がれるようになっている。 香川県西部の山沿いに多く存在する柑橘農家の一軒だった「フジカワ果樹園」が、ここまで多くの人に注目され、支持されるようになった秘密とは―。その立役者とされる「フジカワ果樹園」ゼネラルマネージャーの出口隆幸氏に話を伺った。
―「フジカワ果樹園」の歴史について教えてください。
元々「フジカワ果樹園」は、香川県観音寺市大野原町で、代々家族で営んできた柑橘農家でした。昭和46年に、先代の社長が有限会社として立ち上げたのが、現在の「フジカワ果樹園」の始まりです。「池之内」と呼ばれる広大な山間地域を、農地として切り開きながら、柑橘類の生産に一族で力を注いできたようです。その当時から、JAなどの出荷団体や卸業者を通さず、直接市場や顧客と取引する形で柑橘類の販売を行ってきました。
時が流れ、先代から現社長に引き継がれる頃には、青果は、卸業者やスーパーマーケットを通した大量流通が主流となっていたことに加え、安価な輸入品の台頭も目立つようになってきていた時代だったので、なかなか売り上げが伸びずに、苦戦していた時期もあったと聞いています。
そのような状況の中でも、地元市場の高松での流通だけに留まらず、神戸、京都、奈良、大阪など、単価での駆け引きがしやすい関西の市場も開拓していくことで、販売拡大への地道な努力を続けてきたようです。
―ここ1年で、「フジカワ果樹園」の名前が広く認知されるようになりましたよね。
はい、おかげさまで、地元の皆様を始めとして、本当に多くの人に「フジカワ果樹園」の名前を知っていただけるようになったと思います。特に今年は、フジカワ果樹園の目玉商品である「ハウスレモン」約4万個全てを、市場を経由しない直接販売の形で完売させるという悲願を初めて達成できたこともあり、その手ごたえを実感できましたね。
県内各所の飲食店でも、「フジカワ果樹園」の商品を使ったメニューを次々と考案していただき、ご好評を頂いています。また、観音寺市の「ふるさと納税」の返礼品として選定され、昨年度は1000件を越えるオーダーをいただいたことなど、様々なご縁をいただきながら、「フジカワ」ブランドが浸透していってくれていることをありがたく感じますね。
―高く評価されている「フジカワ果樹園」のレモンですが、商品についてもう少し詳しく教えていただけますか。
「ハウスレモン」は、9月~12月出荷のグリーンレモン、12月~3月出荷のイエローレモンの2種類があります。どちらも、西讃では随一のハウス栽培を行っており、香川県からエコファーマー栽培(※持続性の高い農業生産方式を導入することで認定される。たい肥等を活用した土づくりを基本とし、化学肥料・農薬の使用の低減を一体的に行う農業生産方式。)の認証を受けています。ハウス栽培のレモンと、他の一部の柑橘類は、表皮から残留農薬不検出の証明書を取得しているので、皮ごと料理に幅広く活用できるということも、個人のお客様だけでなく、飲食店の取引先からもご好評を頂いている要因だと思いますね。また、これは「フジカワ果樹園」の全ての柑橘類に言えることですが、肥料には、独自ブレンドした有機肥料、魚肉エキスなどを使用し、畑全体にタイベックを張り巡らせるなど、長年培ってきた「フジカワ農法」で手間暇かけた栽培を行っていることも、特長の一つです。
―現在、「フジカワ果樹園」のゼネラルマネージャーとして、多方面で活躍されている出口さんですが、出口さんご自身と、「フジカワ果樹園」の出会いはいつだったのでしょうか。
実は、ゼネラルマネージャーという現在の立場で「フジカワ果樹園」で働くようになったのは、1年半前に、関東から香川に帰ってきてからのことなんです。―かなり、最近のことなのですね。
そうなんです。しかし、「フジカワ果樹園」との最初の出会いは、今から10年前に遡ります。農業のボラバイトで香川県を訪れたときに、お世話になった農家の1軒が、この「フジカワ果樹園」でした。そして縁あって、社員1号として働かせてもらうことになったんです。当時は、今とは違い、主に現場で農作業に従事していました。その頃、同じくボラバイトで香川に来ていた妻と出会い、時を経て結婚しました。第一子出産後、妻の子育て環境を考え、夫婦で話し合った結果、妻の実家にほど近い茨城県への移住を決意し、一旦「フジカワ果樹園」からは離れることになりました。社員として働き始めてから、4年の年月が経っていましたね。―「フジカワ果樹園」と最初に縁があったのは、10年前に遡るのですね。出口さんはそれ以前からも、ずっと農業に従事されていたのですか。
いいえ、実は、大学は機械電子工学科で学びました。そこで、高等学校の機械科、中学校の技術科の免許を取得し、中学校の教員を目指していたんです。しかし、当時の教員採用試験は超高倍率、中でも採用人数の少ない中学校の技術科はかなり狭き門でした。卒業後は、地元の姫路に戻り、大手進学塾で、塾講師をしながら、採用試験合格に向けて、勉強を続けるつもりでした。しかし、とある事情から、就職後わずか半年で、勤務していた教室の教室長を任されることになってしまったのです。それからは、過酷なスケジュールに忙殺される日々を送ることになりました。目の前の仕事をこなすことに精いっぱいで、いつしか、教員採用試験合格の夢は、自分の中から薄れていってしまいましたね。数年間、教室長として働いていましたが、あるとき、農業のボラバイトの存在を知りました。もともと農業に興味があったこともあり、また、自分が身を置く環境をがらりと変えてみたいという思いを抱いていたことも手伝って、心機一転、農業の世界に飛び込むことを決めました。
これが、私と農業の出会いです。様々な場所の、様々な農家さんで、住み込みで農業を手伝いながら、お金を稼ぐ生活をする中、たまたま訪れた香川県で、たまたま出会った「フジカワ果樹園」の社長に縁をもらい、前述したような4年間を過ごしたというわけです。
―いろいろな偶然が重なって、「フジカワ果樹園」と出会われたんですね。先ほど話されていたように、その後一旦「フジカワ果樹園」を退社し、茨城県へ移住された後のお話もお聞かせいただけますか。
はい。茨城へ移り住んだ頃には、すっかり農業の面白さに魅了されていましたから、香川で培った経験を生かして、同じように農業に従事したいと考えていました。そこで、農業法人の求人に応募したんです。しかし、神様のいたずらだったんでしょうか、社長面接を経て、無事採用となったことまではよかったのですが、配属された先は、これまでの人生では全く無縁の、カット野菜を生産する工場でした。後に、採用にあたっての社長の秘められた意図も知ることになるのですが、当時は、想定外の出来事に、驚きと戸惑いを隠せませんでしたね。ですが、そのまま私は、秘書業務や総務など、社長の右腕としていろいろな業務を担当することになりました。秘書、総務業務はもちろんですが、営業、取引など、ほとんどの業務が未経験のことばかりでした。社長のもとでゼロから勉強させてもらいながらの、挑戦の連続の日々でしたね。当時も、なかなか過酷な毎日でしたが、今思えば、農業をしていただけでは出会えなかった様々な業種の人々と出会い、関わりを持てたこと、また、物流のしくみを勉強する機会を得られたことは、今の自分を形作る上で、必要不可欠なことだったと思いますね。
―運命のいたずらに翻弄されていたようで、全てが必然のことだったように感じられますね。そこから、どういった経緯で、「フジカワ果樹園」へ帰って来られたのでしょうか。
カット野菜工場での勤務は、3~4年続きました。その間もずっと、「フジカワ果樹園」の社長とは、連絡を取り合い、互いの近況を報告し合ったり、相談に乗ってもらったりする関係が続いていたんです。私自身は、工場長を任されるようになるなど、勤務にやりがいを感じながらも、睡眠時間すらも満足に取れない激務が続く中、家庭で子どもたちと過ごす時間を全く持てないこと、体力的にこんな生活がいつまで続くだろうかという不安など、新たな悩みが芽生えていた頃でしたね。フジカワ社長の方も、果樹園の運営に行き詰まりを感じることがあったようです。もう一度、今度は以前とは違う形で、また一緒に農業をやらないか、という話をもらって、再び、この香川県の「フジカワ果樹園」に戻ってくることになりました。それが、今から1年半前のことになります。―そこから、出口さんの新たなチャレンジか始まったわけですね。
そうですね。最初の1年間は、現場で農作業も行いながら、「フジカワ果樹園」のブランディングに力を入れました。まず、目を付けたのが、ハウスレモンでした。フジカワ社長がこだわり、栽培に心血を注いでいたハウスレモンは、私が帰ってきたときすでに、県からエコファーマー栽培の認証を受けていました。しかし、市場に流すと、エコファーマー栽培認証は、値段に反映して評価してもらえないんです。「エコファーマー栽培認証」、「残留農薬不検出」という強みを持ったフジカワレモンが、市場ではその他多数のレモンと差別化されず、同じものとして扱われてしまう。そこのもどかしさを、何とかしたいと思いました。
そこで私は、飲食店等の業務用として流通させることを考えました。ありがたいことに、近年の健康志向の高まりやオーガニックブームを受けて、「農薬不検出」「ノーワックス」のイートグッドなレモンを求めている飲食店のオーナーさんたちが存在してくれていました。そのような業界では、自分たちの作ったレモンを高く評価してもらえます。
しかし、市場を通さず流通させるためには、送料等のコストがかかることになります。しかも私は、取引先へ自ら商品を配達する、完全な直接販売にこだわりたかったのです。ところが、最初の頃は、レモン5㎏のオーダーに対して、高松まで片道50㎞の道のりのコストと時間をかけて配達を行っていましたから、その点の効率の悪さについては、社長とも何度も議論になりましたね。
しかし、自分が配達を行い、取引先の人々と直接顔を合わせて話すことで、自社の商品の良さを自分の言葉で伝えることができるし、先方の反応や要望を、直に感じ取り、フィードバックすることができる。それらのことが、「フジカワ果樹園」の強みを世間にPRし、認知度を高めていくことにつながっていくと信じて、地道な販売活動を続けました。その甲斐あって、徐々にまとまった注文の配達ができるようなしくみが確立できてきましたね。
―そのような努力の甲斐あって、今季は市場を通さずにレモンを完売させるという偉業も達成されたんですね。「フジカワ果樹園」というと、マルシェや直売所のイメージも強いのですが。
そうですね。ブランディングをしていく中で、まずは、「フジカワ果樹園」が、地元に愛される果樹園である必要があると思いました。いくら遠くの地で「フジカワ果樹園」が評価されるようになっても、地元の人に認知されていない果樹園では寂しいですからね。そこで、地元の消費者と、直接顔を合わせてやりとりができるマルシェや直売イベントに、力を入れてきました。そして今年2月には、社長発案の、「フジカワ果樹園」の直売所「ワクワクの産地直売所」もオープンさせ、地元の方々が、フジカワ果樹園の柑橘を求めてやってきてくれるようになりました。わざわざ足を運んで、「フジカワ果樹園」の商品を買いにきてくださっているからには、お客様には、商品そのものだけでなく、何か+αの価値を持ち帰ってもらえるような直売所でありたいと考え、直売所限定のセールや、他の業者さんとのコラボイベントも多く開催しています。
また、地元での認知度を上げるために、Facebook等のSNSでの発信にも力を入れました。マルシェや直売イベントの情報発信はもちろんですが、栽培を行っている果樹園の様子やそこに込めている想いなど、生産者と消費者をつなぐ役割を果たすような発信を心がけてきました。コメントやメッセージをくださるお客様と、気軽にやりとりができて、その場だけで終わらない関係を築くことができるのも、SNSの利点ですね。おかげさまで、Facebookでは、2000人近くのフォロワーさんが、「フジカワ果樹園」の発信を見守ってくださっています。
―最後に、今後の「フジカワ果樹園」の展望についてお聞かせください。
少しずつ、認知されてきた「フジカワ果樹園」の「ハウスレモン」を、より全国区にしていきたいですね。ここ香川県も含め、瀬戸内地方で栽培されるレモンは、「瀬戸内レモン」と呼ばれます。ここ数年で、そのブランドはすっかり市民権を得ました。しかし、「瀬戸内レモン」産地の勢力は、広島県や愛媛県に押されているのが現状です。そこで、「フジカワ果樹園」の残留農薬ゼロ、ノーワックスの安心・安全なレモンを、「瀬戸内イートグッドレモン」として、他の産地とは差別化して売り出していきたいです。また、近年、観音寺市では、町おこしが活発に進んでいます。その発展事業の一環として活用できるような果樹園づくりを進めていきたいと考えています。体験型の観光農園としての整備、アイスクリームなどの加工品の生産など、観音寺市の、名所・名物づくりに貢献できる形で、今後も、チャレンジを続けていきたいと思います。
―ありがとうございました。進化し続ける「フジカワ果樹園」を、社長と二人三脚でリードしている出口氏。次々と新しいアイデアを生み出し、様々な手法で農園を活性化させて来られたことがよく分かりました。また、お話を伺っていると、その手腕と熱いハートとは裏腹な、物腰穏やかな話しぶりから、温厚な人柄が感じ取れました。それも、多くの人々を惹きつける魅力の一つなのでしょうね。
今後の「フジカワ果樹園」の動向に、ますます目が離せません。
取材=合田麻菜香